tykmen’s diary

Laugh at life

生死

生死を分けるタイミングはいくつかある。

 

自分は死にそうになったことを幾度か経験した。

 

まずは子供の頃、これは自分が父とプールに行った帰り、信号がない横断歩道を渡ろうとした時だ。よく覚えていないが、行けると思って出たらヤマト運輸が横から来ていて、あわや引かれかけていた。めちゃくちゃ怒られた。あれは今でも覚えている。おそらく6歳ぐらいだ。

 

もうひとつは、高二の頃、山岳部で夏合宿に行った時だ。台風は逃れたが予報は大雨、それでも決行するも1日目、そして2日目と大雨。テント内に水は入り、天井から雨水。下はプールのようにぷかぷかしている。無理だ無理だと言いどうにか先生が撤収を選択。急いで片付け、雨の中ずぶ濡れで走ってその日最終のバスに乗った。その日に東京に帰る予定だったが、橋が崩れて帰らないという連絡を耳にした。私たちはビジターセンターに着き、朝まで過ごした。翌日、考えられない量の川の流れの速さと土砂崩れの後が多くみられた。本当に死にかけた瞬間だと思った。

 

死にかけた時はこれぐらいだが、生きたいと思った時は多くある。  

 

私は性格的に幸せになることを選ぶし、楽しいことを選ぶ。

 

数えきれないが、最近ならライブ中など、生きてるを実感する時、次へのステップが少し踏めた時、そして彼女を幸せにできた時である。本当に幸せにできているかはわからないが自分はしてるつもりだ。幸せにすることで彼女も生きてくれる、私の元気な活力になるし、彼女にもなる。頑張りたい。

 

子供の頃から言うならば、サッカーをして大会で優勝したり、奇跡的にゴールを決めて褒められた時。あとは、中学生までの話だが、いじめから解放された時。よく覚えていないが、生きようかなあって思ったのを覚えてる。高校生になって消えたが、今でもそのことは忘れない。それすらを笑いに変えてしまいたいので、友達と昔の話をする時は笑い話にする。

 

生きるというのは難しいと思う。周りのじいちゃん達は死ぬし、バンドマンも何かで亡くなる。いつだって、いつ死ぬかなんてわからない。

 

それでも、生きることを自分が選択したいし周りの人にも選択してほしい。家族も、友人も、恋人も、知り合いも。

そのためになら力になる。なれるかは分からないけど力になりたい。

 

1ヶ月、生きてることを実感しながら、これも毎日書いてみたい。

 

彼女が今日、専門学校を卒業した、1年制だが本当にすごいと思う。単位も落とさず、高校では大変だったと思うから、本当にすごい。ちょっとでも喜んでくれるよう、精一杯おめでとうと言いたい。自分を変えられるような人を俺は尊敬する。これからも頑張って欲しい、一緒に頑張りたい。いつもありがとう。

 

卒業、おめでとう。