1.17と3.20
今日は阪神・淡路大震災から25年
これをなぜ思い出したかと言うと、Twitterをふと眺めていたらトレンド入りしていたのだ。
「地下鉄サリン事件」
が。
それを押すと
「今日で阪神・淡路大震災から25年 その年の3月には地下鉄サリン事件も」
というふうに書いてある。
皆の興味はやっぱり地震よりサリンの方にいくのである、まあそりゃそうか、歴史に残るような悲惨な事件であるし、まだまだ謎が多い。
少し見てみると、どうやらこの年は震災があったのでメディアはずっと震災について報道していて、その年の1番の事件は震災のはずだった。
しかし、3月に起きた地下鉄サリン事件をメディアは総力を尽くして報道し続けたという
神戸の方にボランティアをしに行った人は現地の人から
「やっとこれで震災も忘れられてゆっくり過ごせる」
と言っていたらしい。
劣悪な空間での生活や、メディアの配慮ない取材、これらが大きなストレスを生んでいたのだろう。
こうして地下鉄サリン事件が結果的に永遠と報道されることになった。
間違いなく子供の頃に見ていたら今でもトラウマになっているのでまだ生まれてなくてよかったと思う。
私の父は、東京駅の方のビルで勤務しているが、丸ノ内線で当時は向かっていたため、もし父が2本遅い電車に乗っていたらあの地下鉄サリン事件が起きていた当該車両だったと言う。
少し寝坊していたら、お腹を下してトイレに行っていたら、と考えるとゾッとする。
もうひとつ、父は2011.3/18に岩手の宮古に出張の予定が入っていた、
これは何を意味しているか、そう、この一週間前に震災は起きたのだ。
なんだか偶然ではあるが、本当に危なかった、と思う。
結局人生は偶然と運、時々努力みたいな世界だ。
ところで、地下鉄サリン事件の当該車両は4つほどあったが、どれも皆「国会議事堂前」「霞ヶ関」駅の方までずっと走っていたという。
普通なら何人も乗客が倒れていたら止めるはず、
なのに何故だろうか
真相はわからない、政府、鉄道局員の思惑があったと言われているが何を信じるかは難しい。
平和な世界になって欲しいねもっと、香港の飛び火をくらって台湾も危ないよ最近、日米関係もなんだか雲行きが怪しいし、、、
どんどん肩身をせばめて行きづらい世の中にならないといいな。